生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

「いつ死んでもいい」という境地

ついつい大袈裟に考えてしまう癖がぼくにはあるのだが、究極の生き方を昨日思いついて今日も実行してみると今までとは違った心の落ち着きを感じているのに気づいた。生き方というよりもちょっとした心の持ちようみたいなものだ。それは、いつ死んでもいいと思って毎日を過ごす、というものだ。「いつ死んでもいい」と気が向いたときに呟くだけで、何やら念仏みたいと今書いていて気づいた。そういえば今、加賀一向宗の時代小説を読んでいるのでその影響もあるのかもしれない。どんな人でも平等に「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという浄土真宗の教えに、当時の農民や一部の地侍が帰依したのだった。ぼくの場合は「いつ死んでもいい」という境地が、ひょっとすると当時の一向宗の人たちと共通するのかもしれない。こんな勝手な思いを述べると浄土真宗の信者の方に失礼なのかもしれない。「いつ死んでもいい」という境地とは、たとえ今死んだとしてもそんなに悔いはないと思えることだ。無欲になる、ということかもしれない。今のぼくが無欲かといえばもちろん違うだろう。読んでおきたい本が山ほどあるからだ。でも読めずに死んだとしても諦めがつくような気もする。このつぶやきがいいのは、今が最高の状態と思えて究極の肯定感が得られることだ。