生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

計画を超えるthing

計画を立てたのは、何者でもない何も成し遂げられない自分を変えたかったからだ。しかし、そういう自分を肯定して真実の人間を徹底して生きるという方法もあるのではないか。ぼくが生きる糧にしている文学というものは、何者でもない、何かをやろうとしてもできない自分を肯定してそこから強く生きようとすることだという気がする。かつてサラリーマンだった頃、生きていくことは商品を売ることで報酬と社内の地位を得ることだった。それを合理的に実践する仕組みというものがあって、自分の気持ちなどはお構いなしに強くその引かれた道を歩けばよかった。それは世間から踏み外して生きるしんどさを回避するために仕方のないことだった。物質的な窮乏を恐れる小市民の一人だった。ぼくの妻は本能的に小市民の生活を守った、、、

しかし、生きることは魂の中でも行われる。そこで生きるには計画を立てることは無意味に思える。魂の世界そのものが混沌として計画が成り立つ土壌ではない。自分という存在そのものが混沌として変えられるものではないかもしれない。自分を変えるという考え自体がまやかしかも知れない、きっとそうだろう。今朝、リルケの「マルテの手記」を再読してみたい気になって、計画を超えることもあり得ると思えた。