生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

文学読書クラブをつくる

地域の公的な読書会を設立したいという目標を作ったが、読書会といっても文学でなければならないし、文学は純文学ではならないことが、目標を吟味していると明らかになった。定年退職後に知的好奇心が衰えてない人が求めるのは、野々市市みたいな地方都市だ…

計画を達成する前提のはなし

ぼくの残りの生涯を賭けた目標の達成計画の中で、地域の(公的な)読書会を設立というのがある。あるというより最近決めたばかりなのであるが。この計画にはさまざまな問題が埋まっていることが予想される。読むべき本の選定をどのように行うかなどはすぐ考…

公民館読書会との出会い

共働きだったぼくたちは同じ年に会社を退職する約束だった。妻が3歳下なのでぼくは定年後2年間は延長して同じ会社で勤めることにしていた。ところが2年目に配属になった部署はあまりにも過酷な環境に思えて妻との約束を破ることになった。当然猛反対を受けた…

のんびりダラダラから計画的に実行するへ

今私は野々市市の読書会に属している。いちメンバーだったのが会長になって2年経った。会長となると県の読書会の副会長に、会長から請われて昨年なった。一人で本を読んでいるのと、読書会仲間で読んでいるのとどちらがいいか、ここで突き詰めて考えてみたい…

他人を書くことに気づいた

自分だけが作り出せる小説を書きたい。それこそ自分が生きた印になるものだ。今はそう思う。これまで読んできた小説のような小説は書けない。何が小説という表現形式で、必然のものかは分からない。とにかく書きたいことがなければならない。私が小説と思っ…

今、現代世界に起こっていること

ぼくは評論家や専門家ではないが、今現代世界で起きていることについて自分がどう捉えたらいいかを考えることは許されると思う。ブログという自由な表現媒体で、自分の考えを書くことに何かしらの意味はあると思える。つまり今起きている、ウクライナ対ロシ…

自分の人生の終わりを想像する

私は現在70歳。これまで生きてきて自分の死を考えたことがなかった。勝手に96歳まで生きるという目標を設定したりしたこともあった。それはサラリーマン時の38年を取り返すという意味づけをしたものだった。サラリーマンの時は自分を失っていたから、自分を…

講演会を終えて

前略 先日の講演会が予想以上に好評だったので安堵とともに、やって良かったと思えていい経験をさせていただきました。松村さんには丁寧なお話ぶりでお答えいただいて、それが一番の好印象の要因と思っております。先のお手紙にもありましたように、私の方で…

この胸に芽生えるもの

この胸に年甲斐のない妄想が始まるのを感じる。遠い昔の少年の、初めての少女を見るような、立ち尽くして時間の流れも忘れる、何かが崩れそうな感覚。それを掬い取って小さく育ててみたい。突然あなたがくれたコメントに、ちょうど「一九歳の時」がシンクロ…

計画を立てて実現する達成感

金沢市のとなりの野々市市で、毎年椿まつり(全国椿サミットの一環)が行われ、読書会主催で文学講演会もその中のイベントとして毎年参加している。このブログで講師依頼から講演内容を巡っての打ち合わせや進行プラン等の準備を書いているが、今回は一連の…

人生で何かを成し遂げるには

人生で何かを成し遂げるには、何かを捨てなければならない。成し遂げられるのは、短いぼくの人生でいくつもない。そして目標は一つに絞られる時、一番実現性が高い。これは動かしがたい真理に思える。一つの実現したい目標は何かを考えることは、自分のこれ…

書きたくて書く

ぼくは70歳だ。子供ができなかったので当然孫もいず、結婚してからずっと我が家は妻と二人だ。近くに実家で母が94歳で一人住まいしている。朝夕と寝る前に薬を飲むのを数ヶ月前から忘れるようになってからは、朝と夕方に妻と交代で薬を持って行って飲ませて…

電車の中で声をかけられたこと

居心地のいい場所を求めるのではなく、ここを居心地よくすることを考える。どれくらい前だろうか、つい最近までのような気もするけど、いつも居心地のいい場所を求めて心は満たされることがなかった。東京には気の利いた場所がある気がしていたが、東京には…

書かれたという事実には善がある

ぼくが文学を好きなのは何もエンターテイメントだからではない。軽めの小説よりむしろ深刻な小説の方が好きなのだから娯楽を求めているのじゃない。娯楽なんでその場だけで消費されて、あえなく次は何となるだけだ。文学は消費されるものではない。何かとい…

青春回帰がだんだん強くなる

十九歳のころ、なんて世界は優しくぼくを包んでくれていたことか、奇跡のようだ。ぼくが十九歳の時、世界は1972年だった。テルアビブ乱射事件で岡本公三がぼくのイノセンスを破壊したが、それはまだ遠くの出来事で半分夢心地のままでいられた。その頃ぼくの…

ぼくは文学が心底好きなのです

明後日講演会を開く。ぼくが会長をしている読書会連絡協議会が主催して、ぼくは司会進行をしなくてはならない。これまで3回やって今回4回目なので、要領を掴んでいるかといえば全くそういうわけではない。これまでは講師の先生にほとんどをお任せしていれ…

本を読まない若者へ

若者の読書離れがどんどん進行しているらしい。読書の時間は孤独な時間だから、読書離れは孤独に耐えられない若者が増えている、と捉えられると思う。ゲームやyoutubeや漫画や映画などの娯楽などの時間も一人だが、その時間は孤独なのではないだろう。自分と…

若者はもっと本を読めということですね

野々市市の図書館協議会に午前中出席してきた。当市には「子ども読書活動推進計画」があって今年度は5ヵ年計画の第3次の4年目の評価年に当たるらしい。子どもには0歳から18歳まで含まれる。子供の発達段階に合わせて本に触れる機会を捉えて、さまざまな施…

定年についてのぼくの考え

今では定年がどんどん後にずれて、果ては定年がなくなり生涯現役で働くなどという、とんでも無いことが平気で口にされている。労働だけが人生じゃない。仕事を取ったら何も残らない仕事人間は、定年が一大転機になるだろう。ぼくもサラリーマン時代に仕事が…

その小説との出会い

このブログを書こうとしている今は、土曜日の午後だ。定年後の毎日が日曜日となっている今でも、土曜の午後には何かウキウキして華やかな雰囲気がどこかにするのは嬉しいことだ。働いていた頃の土曜日の開放感がまだ何処かに残っている。その開放感が今では…

私たちはどのように生きてきたのか

もう人生の終盤に来ていてこれから何かを始める気持ちを持つ事自体が難しい。これから新しい局面を迎えるにしても、これまでのことを一度きちんとした結果として見ておきたいという気持ちがある。いったい私は、これまでどのように生きてきたのかを一望して…

読者と作者

一つの小説を読み感想を手紙に書いて小説家に送ったとしよう。その小説はぼくにとって等身大の主人公が登場し、その主人公の人生は自分が送ってきた人生のようであり、小説を読むことが自分の人生を確実に生きた歴史として文字に再生産されたと、手紙に書い…

「銀河鉄道の父」を観る

今日、公民館で「銀河鉄道の父」を観る。よく出来た映画で宮沢賢治の人生がよく分かった。これまで本で知っていた、幾分伝説じみた生き方が理解できた。創作へ向かう状況がよく飲み込めた。文学は賢治にとって渾身の営みだった。私は深く反省させられた。文…

三田誠広の全てを読む

小林秀雄の読書論の中で、誰でもいいから自分と波長の合う作家の全集を読め、というのがある。全集は存命中は出ないから、全集でなくても活字になったものなら手紙や発言集などを全てということでもOKだ。これまでぼくはその対象を黒井千次にしていたことが…