生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

本を読まない若者へ

若者の読書離れがどんどん進行しているらしい。読書の時間は孤独な時間だから、読書離れは孤独に耐えられない若者が増えている、と捉えられると思う。ゲームやyoutubeや漫画や映画などの娯楽などの時間も一人だが、その時間は孤独なのではないだろう。自分と向き合う孤独ではなく、自分を忘れるのであってやはりそれは孤独から逃れていると思う。読書は積極性または自発性が求められる。自分から読もうとしないと1ページも進まない。しんどい行為だと思う。しかし、そのしんどさはスポーツの鍛錬と同じ脳の筋肉トレーニングであり、読書を毎日続けていれば脳は鍛えられる。

さて、文学だ。地元の野々市市図書館の調査でも、どんな本が一番貸し出されているかではやはり文学系の書籍がダントツで多いことがわかっている。つまり脳が欲しがっているのに小説本が一番対応しているということだろう。手軽に欲求を満たしてくれるのが文学なのだ。漫画や映画は創る側に回るのは文学(小説やエッセイ、俳句や短歌など)に比べるとなかなか難しいと思える。文学の創作には道具がほとんど要らない。言葉は道具ではなく素材だろう。言葉を使おうとすると自分の言語量が問題になる。量だけじゃなく質も自分の身体に関わる。言葉は自分の分身だ。自分を意識存在とするならば、自分は言葉で出来ている。

小説を読む面白さは、自分がその中に渾然一体となって浮遊したり、うずくまったり、叫んだりうめいたり、走り抜けたり倒れたり、死んだり生き返ったりする自由さにある。小説を読まない若者は自分という意識存在が確実に薄いと思う。薄っぺらだと周りから押されて流される危険があると思う。危険を察知できないかもしれない。だから本を読む時間が大切なのだ。