生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

自分の郷土が舞台の時代小説

たかが趣味の読書会サークル活動に、自分を向上させようとするまで打ち込まなくていいものよと思うのだが、趣味なだけにかえって拘ってしまうのかもしれない。自分の生き方が関わってくると考えるといい加減に出来ないのだ。文学散歩といった楽しみを小説を深く読むように、イベントとして企画してしまう。言わば時代小説の舞台を再現するための探究的な、文学散歩なのだ。加賀の一向宗が中心となった農民一揆の歴史的事実が我が郷土の中にかつてあった。空間的には確かに私たちの祖先の土地に一大事件として巻き起こったのだ。そのリアルさは21世紀の現実にはない。ところが直木賞作家が小説の中でリアルに再現してくれる。登場人物を想像力で作り出す。手取り川や白山、打木や小松や山中、高尾城や鳥越城や吉崎御坊など実名で小説の中に出てくると、現在も存在する場所なので想像する基点が特定されるわけだ。そこに実在した人物と想像された人物が入り混じって躍動する。ひょっとすると私の祖先が混じっているかもしれないと想像もできる。自分もその時代に生きていたらと想像もできる。言わば自分の想像力の解像度が中世と現代の往復の中で試される。しかしそれは上手くいけば頭脳の快楽になると思う。自分の郷土が舞台の時代小説を読む醍醐味というものだろう。

文学散歩のお知らせ

以下、私が会長を務める野々市市読書会連絡協議会の春のイベント、文学散歩案内文原稿を作成する。

過日私たち読書会連絡協議会は、作者の松村昌子さんをお迎えして「姫ヶ生水」を巡って講演会を開いた結果、自分たちの生活圏の歴史についての一つの認識を得ました。それは意外にもこれまで誰からも学校からも得られないものでした。初めて血のつながった郷土の歴史に触れ得た実感がしました。そこで、これまで伝えられていた加賀の一向一揆の舞台であった金沢以南の歴史にも、小説を読むことによる土地からの実感を得たいと考えるようになりました。それは著名な直木賞作家北方謙三の「魂の沃野」を読むことによって現実的になりました。

  

今年の野々市市読書会連絡協議会文学散歩は、鳥越一向一揆歴史館に集められた発掘遺跡を始めとした資料集を見学することにしました。「姫ヶ生水」講演会から当地の歴史的過去に思いを馳せる流れに、是非ご参加ください。

 

 

仕事に精を出し休まない

偉大な芸術家の仕事にどうして卑小な自分が嫉妬しなければならないのか。彼は晩年癌で闘病生活を余儀なくされた以外はこれ以上ないほどの幸せな人生だったと思える。音楽の才能一筋に自分の仕事をやり遂げて一生を終えることができたからだ。才能のある人の成功物語には充実した一貫性がある。仕事をやり遂げた人の人生ほど素晴らしいものはないと思える。仕事という活動の場が何より大事だと改めて思い知らされた。今のぼくにそれがない。ぼくの仕事は何か。生まれて死ぬまで自分の仕事が分からなくて終わるのは何という無残さだろう。ここのところの気落ちの原因はそのことに違いない。地元に読書クラブを作る仕事をもっと真剣に取り組んで、弛まずに進めなければならない。野々市市に臼井さんという、石川子ども文庫連絡会代表の方がいらっしゃる。その方とまず連絡をとって、子ども文庫と地域読書クラブとの連携を模索してみよう。すぐにアイデアを出して実行するのに間を空けてはいけない。これを定年後の自分の仕事として精一杯身を入れて頑張らなければならない。違いではなく、同じ部分で協力できることを探そう。まずは本を読むことの、生涯学習プログラムのようなものを一緒に作ろう。子供から少年少女に成長し大人になり老人となるまでの、生涯にわたる本との生活を推進するモデルを地元に作りましょうと提案してみよう。

日常と非日常

昨日はよく晴れて気温も高かった。桜は満開になりお花見に母を連れて行こうと朝迎えに行くと、物憂がって家から出たくないと言ってキャンセルになった。それでは二人で行こうかと妻を誘ってみるとじゃあということになって、人混みはぼくも妻も嫌いなので、犀川沿いの河川敷の桜並木をお花見することになった。月曜なので混雑するほどではなかったが、メインのところではそこそこ賑わっていた。このように書いて普通にお花見を楽しんだことにすればいいのかもしれないが、ところがぼくの気分はどういうわけか沈んできたのだった。河川敷の東屋に幸せそうにしている家族連れの側に、一人で座って佇んでいたお婆ちゃんを横目で見て通り過ぎた。丸い大きな背中を向けてベンチに一人で俯いて座っていた中年男性が目に留まった。その時の感じがあとに引いた。微妙な賑わいに紛れ込んだ寂寥というべきか、ぼくにはその河川敷が心の隙に取り憑くような不安を与えるようだった。こんな筈ではなかったという思いで帰ってきて、一日経って今まで頭の隅に残り続けていた。その気落ちの原因がようやく分かった気がした。それはおそらく誰も分かってくれないだろう。ぼくのこれまでの日常と非日常のバランスが最近変わってきた、と言っても理解してもらえる自信がない。お花見は日常で、小説の世界が非日常なのだが、後者の方が大きくなってきて前者を凌駕するようになってきたと思えて、昨日の気落ちの原因に納得できたのだった。つまりぼくは小説の世界に住んでいると思える方が幸せで、現実の日常は何処か寂しさを感じるようになったと思える。これはおそらく、先日来からブログに書いている地域の公的な読書会を作りたいと計画を持ったことの反動だと思える。現実の活動的な目標に無意識的に反対していると考えられる。そっちの方向じゃないよと無意識は教えている。そしていつも無意識の方が勝つようにできている。

とにかくオタクっぽいのがいい

何だかあの小説家とのトークで、自分が地域の文化人の端くれにデビューした気がするのである。また何と大袈裟なことをいうものかと君は呆れるだろうが、ぼくの最近の外に向かうウキウキした気分のその原因を辿っていくと、そうとしか思えない。ぼくは初めてお客さんのこちらの話を傾聴しようとしている顔を見た。あの会場で初めて接する同年輩の未知の友人たち。お客さんの目というものに生まれて初めて接したのだから、多少大袈裟になってもいいんじゃないか、、、そこで得たぼくの構えのこころ触りを覚えておこう。その構えのままこれから他者と接していこう。まずは読書会の仲間から。そして将来の地域の読書会仲間に、デビューした「読書オタクのチョイワルじじい」として。明日は読連協の総会だ。そこを自分の舞台だと考えよう。

それなら「読書オタクのチョイワルじじい」は、どんな小説を読んでいるのか?大江健三郎村上春樹ではないよね。三島由紀夫でもないし、中上健次でもない。オタクはメジャーなものは敬遠するはずだ。渋いところで坂上弘莫言垣根涼介ってところか。イタロ・カルヴィーノやジュール・シュベルヴィエルや李良枝ってところかな。とにかくオタクっぽいのがいい。これから趣味の探求に出かける必要がありそうだ。ますます文学にハマるように、、、

読書オタクのチョイワルじじい

私小説は何処か知識人っぽい主人公の話ばかりで隔たりを感じていた。そこで企業小説や会社員小説の方に関心が向きだしている。身近かに感じる小説は感情移入がしやすいし、書く側に立って追創造することもできそうだ。それはかなりセミプロの領域に入るか、マニアックな趣味となって定年後の楽しみとして最適だ。マニアックなオタクというのも楽しそうだ。少なくとも既に一般大衆から個性的な人間になっている。個性的な人間というよりは面白人間というところだろう。テレビに出るコメンテーターや、ラジオに出るパーソナリティのように成れれば、一つの存在として社会的に認められる。読書家という存在もあるが、偉そうで気に入らない。読書オタクのチョイワルじじいというイメージがいいかもしれない。それをセルフイメージにしよう。今のぼくは多少知識人っぽいかもしれない。むずかしい哲学書や文芸評論が好きな感じを漂わせているかもしれない。それを辞めて背伸びせず、等身大を意識してみようと思う。自己イメージが自分を変えるキーになることは昔マーケティングでよく勉強していた。復習の意味で実践してみようと思う。

 

とことん自分に感ける

このブログ空間、何を書いてもどのように書いてもOKという、書いた文字がそのままフォントに再現されて目に前に現れるという仕組みに、今更ながら便利なツールが出来たものだと感心する。このお陰でぼくはいつでも好きな時に思うままを綴ることができる。それはどこまでも自分に感けられるということだ。自分をどうして捨てる必要があるものか。自分がなくてどうして実感を持って今を生きている、と言えるのか?たとえ誰かのために生きたとしても自分を捨てる必要はない。自分のままにその誰かに接すればいい。自分という器または形式に留まって、最大限に表現すればいいのだ。それが真に生きることであり、何処までも自分自身でいられる生き方であり、それを死ぬまで貫けばいいのだ。これまで名を成した偉人や成功者は皆そうしてきたと思う。だから少しも遠慮はいらないのだ。まあ別に有名になる必要もないけどね。

さて、改めて自分というものを発見したぼくは、過去の無名の、ということは未だ自分を発見していなかった未明の自分を救わなければならない。それは一般に自我が目覚める頃の私なのであろうか?ここで一般という常識には従わず、やはり自分の心の声に従おう。ぼくは高校2年の夏の終わりに10日ほど登校拒否したことがあり、その時の嵐のような精神状態をこの探求の端緒としたいと思う。その時、世間の流れに初めて抗った自分がいた。それを端緒とすることに意味がありそうだと、心の声は言ったのだ。

「その時」ぼくは休みたかったのに周りの世界はお構いなしに進むのは、大胆にも理不尽であると考えたのだった。ぼくは世界を止めたかった。後にもう成人して随分経って、世界を止めるには自分の心の中に世界を作ればいいと覚醒することになるのだが、それまでは長い試行錯誤の旅が続くのだった。それをできるだけ思い出してこのブログに綴って行こう。

未明の自分を救うという課題は、自立の概念で問題を立てることができると思う。まずはその内実を明らかにすべきだろう。ぼくは高校2年の登校拒否の時点までは自分をまだ形成できてなかった、とみることができる。自分の意志で自分の行動をコントロールできなかった。そもそも自分をコントロールできることさえ思いついていなかったように感じる。学校にいくというルーティンは自分の意志でないのではないか、とその時どうしようもなく気づいてしまったのだと思う。そうだ、一度止めてみようと思い立ったのだ。その頃は、自分と周りの環境を作っているシステムは一体化していたと思う。漠然とシステムに気付いたのかもしれない。そのシステムとは世間的な人生行路のことで、その時点で親や学校やマスコミなどから躾けられた常識に違いない。当時を思い起こしてみると、ぼくは10日ほど登校拒否の後、そのシステムと妥協を図ったのだった。つまりお決まりの大学進学のコース上に自分の生きる道をとりあえず置こうとしたのだ。現実には美大への進学を決めることで、自立という課題の解決を図ったのだ。だが、それは真の解決ではなかったと今では断言できる。むしろ真の自立から逃げたのだ。

真の自立とはどういうことか?それは残念ながら今の自分では分からない。だから70歳という人生の晩年近くなってから自分探しをしていることになっているのだ。何と高校2年の登校拒否時点の未解決が70歳の今に直結しているのだ。

 

真の自立とはどういうことかを分からないなりに考えてみよう。自由に思うままに考えることは許される。まず既に経済的自立については済んでいる。38年間働いて退職金と年金で暮らしている。つまり経済のことは考えないで済んでいるということだ。次に精神的自立について、それが何を意味するか考えてみる。自分の思考が何かの支配下にあるかとか、表現の自由が脅かされているかとか、人間関係で誰かの圧力を受けて感情的になって不自由な身になっているとか、等々が全くない状態が精神的自立状態と思える。現在の私はそれも済んでいると思う。ただ一つあるとしたら、社会的に無力な存在であることが虚しく自責の念のような感情に囚われるのは、自立していないこととして認めてもよい。しかし、それは実存的自立の問題で人生論や哲学の問題として向き合っているし、無力感のまま済ましているわけではない。そう考えてくると、真の自立とは社会的自立のことと思える。現役で働いている時にはできていたが、退職または引退すると真の自立からは離脱するということなのだろうか。だとしたら、今目指すべきはやはり何らかの形で社会的に有用な活動をして、再び社会的自立を目指すべきなのだろう。やはり、地域の公的な読書会を設立する活動をすべきなのだ。