生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

とことん自分に感ける

このブログ空間、何を書いてもどのように書いてもOKという、書いた文字がそのままフォントに再現されて目に前に現れるという仕組みに、今更ながら便利なツールが出来たものだと感心する。このお陰でぼくはいつでも好きな時に思うままを綴ることができる。それはどこまでも自分に感けられるということだ。自分をどうして捨てる必要があるものか。自分がなくてどうして実感を持って今を生きている、と言えるのか?たとえ誰かのために生きたとしても自分を捨てる必要はない。自分のままにその誰かに接すればいい。自分という器または形式に留まって、最大限に表現すればいいのだ。それが真に生きることであり、何処までも自分自身でいられる生き方であり、それを死ぬまで貫けばいいのだ。これまで名を成した偉人や成功者は皆そうしてきたと思う。だから少しも遠慮はいらないのだ。まあ別に有名になる必要もないけどね。

さて、改めて自分というものを発見したぼくは、過去の無名の、ということは未だ自分を発見していなかった未明の自分を救わなければならない。それは一般に自我が目覚める頃の私なのであろうか?ここで一般という常識には従わず、やはり自分の心の声に従おう。ぼくは高校2年の夏の終わりに10日ほど登校拒否したことがあり、その時の嵐のような精神状態をこの探求の端緒としたいと思う。その時、世間の流れに初めて抗った自分がいた。それを端緒とすることに意味がありそうだと、心の声は言ったのだ。

「その時」ぼくは休みたかったのに周りの世界はお構いなしに進むのは、大胆にも理不尽であると考えたのだった。ぼくは世界を止めたかった。後にもう成人して随分経って、世界を止めるには自分の心の中に世界を作ればいいと覚醒することになるのだが、それまでは長い試行錯誤の旅が続くのだった。それをできるだけ思い出してこのブログに綴って行こう。

未明の自分を救うという課題は、自立の概念で問題を立てることができると思う。まずはその内実を明らかにすべきだろう。ぼくは高校2年の登校拒否の時点までは自分をまだ形成できてなかった、とみることができる。自分の意志で自分の行動をコントロールできなかった。そもそも自分をコントロールできることさえ思いついていなかったように感じる。学校にいくというルーティンは自分の意志でないのではないか、とその時どうしようもなく気づいてしまったのだと思う。そうだ、一度止めてみようと思い立ったのだ。その頃は、自分と周りの環境を作っているシステムは一体化していたと思う。漠然とシステムに気付いたのかもしれない。そのシステムとは世間的な人生行路のことで、その時点で親や学校やマスコミなどから躾けられた常識に違いない。当時を思い起こしてみると、ぼくは10日ほど登校拒否の後、そのシステムと妥協を図ったのだった。つまりお決まりの大学進学のコース上に自分の生きる道をとりあえず置こうとしたのだ。現実には美大への進学を決めることで、自立という課題の解決を図ったのだ。だが、それは真の解決ではなかったと今では断言できる。むしろ真の自立から逃げたのだ。

真の自立とはどういうことか?それは残念ながら今の自分では分からない。だから70歳という人生の晩年近くなってから自分探しをしていることになっているのだ。何と高校2年の登校拒否時点の未解決が70歳の今に直結しているのだ。

 

真の自立とはどういうことかを分からないなりに考えてみよう。自由に思うままに考えることは許される。まず既に経済的自立については済んでいる。38年間働いて退職金と年金で暮らしている。つまり経済のことは考えないで済んでいるということだ。次に精神的自立について、それが何を意味するか考えてみる。自分の思考が何かの支配下にあるかとか、表現の自由が脅かされているかとか、人間関係で誰かの圧力を受けて感情的になって不自由な身になっているとか、等々が全くない状態が精神的自立状態と思える。現在の私はそれも済んでいると思う。ただ一つあるとしたら、社会的に無力な存在であることが虚しく自責の念のような感情に囚われるのは、自立していないこととして認めてもよい。しかし、それは実存的自立の問題で人生論や哲学の問題として向き合っているし、無力感のまま済ましているわけではない。そう考えてくると、真の自立とは社会的自立のことと思える。現役で働いている時にはできていたが、退職または引退すると真の自立からは離脱するということなのだろうか。だとしたら、今目指すべきはやはり何らかの形で社会的に有用な活動をして、再び社会的自立を目指すべきなのだろう。やはり、地域の公的な読書会を設立する活動をすべきなのだ。