生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

文学少年はどう生きのびたか

*以下の文章は私の52歳の時ブログに書いたもので、今から18年前になる。最近パソコンの保存用フォルダから見つけ出したものだ。

 

自分の定年後の生活をイメージする時にまず出てくるのが「読書」である。何故「読書」がでてきたのかというのは、定年にならないと本が思いっきり読めないという思いがあるからだ。いわゆる読書三昧が許されるのは会社を離れてでないと無理だという実感がある。逆にいうと読書三昧という環境とか、その精神的自由感を味わいたいために定年という将来を待ち望んできたところがある。

自分 の人生の中でこの「読書三昧」と「精神的自由感」を一時期満喫していたことがある。私の高校時代である。私は受験勉強を嫌って本ばかり読んでいた。私にとってその時が乱読の時期で、よく作家が年少の頃の乱読体験を披瀝しているが、私は作家程の読書量はなく、今の職業も書くこととは特別関係ないということからも推測できるように、ごく普通の乱読コースである。つまり、世界文学全集を片っ端から読んだのである。その全集というのは比較的長篇の小説が多く、私の読書傾向として長篇好みがあるのはその時の読書経験による。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」から始まり、ヘルマンヘッセの「車輪の下」「ナル チスとゴルトムント」、スタンダールの「赤と黒」、トルストイの「復活」、ドストエフスキーの「罪と罰」「未成年」「白痴」「悪霊」、ロマンロランの「ジャンクリストフ」「魅せられたる魂」、ジャン・ジャック・ルソーの「孤独な散歩者の夢想」、カミユの「異邦人」「ペスト」、サマセットモームの「月と六ペンス」、と順番はこのとおりか記憶が定かではないが、約一年半程の期間はこの乱読の小説とともに私の高校生活があったのである。

今、「小説とともに私の高校生活があった」と書いたが、これは単にレトリック(修辞)として書いたのではない。実際そのような生活であった気が今この歳になって振り返ってみるとするから、事実としてそうであったと書いたのである。 つまり、必要以上に現実を深刻に考えたり、恋愛至上主義になって女性崇拝的な片思いの結果、失愛に苦しんだり、逆に優柔不断 でつきあってくれた女の子を苦しめてしまったり、天真爛漫の時期があるかとおもうと自責の念で極度に落ち込んだりと、決して平和な心境にはなれずに過ごした記憶が今でも断片的に思いおこされる。私は幾分ラスコールニコフに似ていたし、ロッテのような女性に憧れ、ムルソー気取りで夏休みを過ごし、ジュリアン・ソレルのような自信家になってラブレターを書いて赤恥をかき、ジャン・クリストフとともに長く暗い冬を情熱的に過ごし、カチューシャのようなちょっと斜視の女性に恋して一度だけデートしてもらったり、トルストイにかぶれて白樺派のようにヒューマニズムが最大の価値だと回覧日誌に書き込んで先生にからか われたり、「悪霊」に出てくる政治活動家の議論のように学生運動を自分の内面に引き込んでしまって軽いノイローゼになり一週間不登校を経験したり、何かに ずっと取り付かれていたかのように高校生時代を過ごしたのだった。

今思うと何故これ程までに読んだ小説に影響されて実生活が振り回せれてしまったのか、不思議に思える。実生活が受験勉強とい う現実離れした学生身分だったからというのはあるだろうが、それでもそのころの私は無知ゆえに大胆な行動がよくとれたと感心するくらいである。安定した生活というものにまだ出会っていなかったし、多分心は荒れていたと思う。

かつて私はこの自分の高校時代を小説に書けないかやってみようとして、さっぱり糸口がつかめず自分の才能の無さに失望したことがあったが、今は小説の前にそのころの自分の精神状態を心理分析する必要があるのではないかと思っている。しかし自分を心理分析するには、ありのままの自分を過去の自分の現実として対象化しなければならず、それはルソーのような「告白」を必要とするのではないか。そうだとすればやはり、小説ではないがノンフィクションなりの文章を書くという作業は必要になってくる。

それでは、「告白」を書く動機は何であろうか? この恥ずかしさに満ちた自分という素材を明るみに出そうとすることの内在的意味は何か? 「告白」で思い出す小説に三島由紀夫の「仮面の告白」があるが、あのようにすさまじくみじめったらしい自分を書き出すエネルギーは職業的作 家を目指す人間でなければ考えられない気がした。あるいは精神を深く病んだ人間の自己回復か、それも尋常でないチカラを持った人間の、文学を通じての自己 絶対化のエネルギーなのかもしれない。そうでなければ告白する積極的意味がないと思う。多分、告白する時の主体は神のような絶対者に近いか、大胆にも神になろうとする野心家に違いないと思う。

そのように見る時、書くことは自己権力化の手段になる。

このように書き進んできてみると、私にも権力志向があるのではないかと思われてくる。告白ほど深刻でないが私には高校時代の自分に人生の原点を見るという、捨てきれないこだわりがある。

しかし、ここで違う視点で告白の動機と告白の主体について考えてみたい。あまりにヒートしては正確に書くという作業ができな いという思いがしたからだ。その視点とは、安定した現在の精神的なひとつの到達点がどのように獲得されたかを過程的に描き出す視点であり、その時の動機は、出発点を明らかにするということをどうしても必要だと考えるということだ。主体については絶対者というよりも、現実的な精神科医師とか哲学者の存在に近い。いや、まだヒートし過ぎている。主体は単純に現在の自分だ。現在の安定した到達点というものがあるとして、その到達点から出発点を描きだせばいいのだ。

私は自宅を持った時に、精神的に安定したといっていい。これにははっきりとした「自覚症状」があった。ややオーバーな言い回しをすれば、意識が長い間の旅から帰ってきて、空中から地面にちゃんと着地したような深い、数分間の静かなやすらぎを感じ、目にするものすべてがはじめて見るような気がした。ああ、これでこのままでずっと生きていけるという安堵感が沸いてきたのだ。これは戸建の家を建てたという平凡なひとつの人生の決断にすぎないのに、こんなにも自分の意識を変えてしまうのなら安い買い物だと思ったくらいである。この時四十五歳になっていた。この七年前から現在までが私の 「現在の到達点」ということになる。通常到達点は一つの通過点にすぎないわけであるが、七年前の「自覚症状」があまりにも強かったので、これを「空間化」 したいという欲望をずっと今まで引きずっているわけである。

この「空間化」作業は非常に魅力的なテーマであって何とかして文章にできないものかいずれ取り 組んでみたい。今仮にキーワードぐらいは書きとめておくとすれば、それは、地球上の唯一点、宇宙意識と通じる日常からの脱出場面を持つ場所、あらゆる生命 の息吹と呼吸を感じる場所、時間がゆっくり「豊かに」流れる所、思い出とやさしさに包まれた黄金色の部屋、孤独にならず回りと完全に一体化していられるところ、といった感じなのだが具体的な描写はとても無理そうである。どのような描写手法が考えられるのかこれから研究しなければならない。少なくともこれからはその問題意識を持っていろいろな本を、古典を含めて読んでいきたいと思う。

さて、最近の関心事の中で、この到達点とは幾分違う傾向が私の心の中で発生しつつあるようなので、そのことについて書き出し てみたい。それは新たな到達点を設定しなければならないのか、またそれは七年前から連続する現在の後にくるべき、より上位の事柄なのか見極める必要も感じ てのことである。それは私が再び世間的な「成功」を求め始めていて、その「自覚症状」として向上心を感じるのである。最近、あるビジネス書を買い、その本 についていたCDに入っていた短編映像で、ヘレンケラーの家庭教師の少女時代を描いた物語の一こまを見て「学習心」に火がともったようなのである。知識が 今の境遇を変えるというオーソドックスで力強いメッセージがそこに込められていた。知識=生き方がストレートに自分の掌中にあるという感覚に、現在の私は 心を動かされたのだ。

ここで少し説明を加える必要を感じた。何故『再び』なのかという点と、『現実的』に今なっていることが何故七年前からの到達点とは幾分異なるのかという点である。

そこには漠然とした自己了解がある。つまり、到達された「現在」は現実的ではなく、どこか牧歌的というかいわば「定年後」の 理想的な状態を意味しているようだし、「現在」の前に少なくとも一回は世間的な成功を求めていた時期があったということになる。そして今思い出したが、そ の世間的な成功がある人のある一言が原因で挫折させられた経緯があり、到達された安定的な精神状態の現在は、その挫折の回復によってもたらされたものだと いうことだ。

それでは少し、遠まわりをしてしまうことになるがその「挫折」について書き出してみなくてはならないだろう。

まず、世間的な成功という時の「世間的」の意味するところを考えてみなくてはならない。あえて世間的とことわるのは、「世間 的」を通俗的として否定的にとらえていることを告白してしまっていることになるが、七年前からの現在の「到達点」からすれば、やはり否定的にとらえることになるのである。

最初に結論的にいってしまえば、世間とは比較し、比較される世界で決して正しいことだけが通る世界でもないし、経済的尺度が 価値基準になったりする世界だ。そして仕事環境としての会社も世間であり、そこでの第一の価値基準は目に見える形の「成績」だ。また公共性はあるが、経済 的組織として権力構造も社長をトップとして編みこまれている世界でもある。

私は普通に多くの人が世間に馴染むようには馴染めない。

あれは、十二年ほど前にさかのぼるのだが、社長から「お前は全然報告しない奴だ」と言われたことがある。会社の常識からすれ ば私は社員として、(あるいはその時は幹部候補生だったのかもしれないが)社長のそばにいて逐一報告する義務があったのかもしれない。しかし当時の私はこ の言葉に大いにショックを受けることになる。つまり私は自分が使用人の立場であるということを思い知らされたのである。社長からすれば私は組織の一員としての行動から幾分はみだして不安なものを感じられていたのだろうと今では推測できるが、その当時は社長のその言葉は私の人格を否定し、使用人の立場を思い知らせてやろうという、暴力的言い回しのように聞こえたのだった。

正直にいって私には何故社長にいちいち報告しなければならないのか全くわからなかった。 それだけに受けた傷は大きく、その後の私は会社から自分の内面に引きこもるようになった。私には会社の中での自分以外に、もう一人の本当の自分がどうしても必要だった。その当時から私は会社からの帰宅途中で本屋に寄るようになるのだが、むさぼるように本棚を順番に眺め続け、「自分を知るための哲学入門」や 「どう生きるか自分の人生」というようなタイトルの本を見つけて毎日のように読んでいた。その時ほど心に染み渡るように本が読めたことはない。

私は高校時代以来の読書の習慣をとりもどし、好んで哲学やいわゆる自己啓発本を読み漁った。さらにNHKのラジオでたしか「こころの時間」という宗教的なテキストを 学習する番組があって、その時に岡野守也の「唯識」に出会うことになる。これは私の人生最大の収穫だったと思っている。私の仏教、宗教観は完全に変わって しまったといっていい。私は求めて公言する必要はないけれども、問われれば自分は仏教徒であるとはっきり答えることができる。

このようにこの時期、自分の精神的危機は深くまた、求めるものも相当激しいものがあったのである。そして私は世間というもの に右往左往させられない自己を確立できたのではないかと思っている。自由と自立、そして歴史的伝統としての良き日本という共同体を求める心をその時獲得で きたのではないかと思っている。

さて、ここでまた整理する必要がありそうだ。私は少し「遠回り」しすぎたようだ。問題は現在の安定したとする到達点がはっき りしておらず、最近の精神状態からすると世間的成功を再度模索する活動的な面が出てきて「七年間」は、いわば二つの側面を持つようになったとみるべきで、 その二面性を明らかにして現在の到達点を確定することがここで求められることなのだろう。まず、思い付くままに現在の二面性をキーワードで現してみよう。 理念と現実、本来の自分と経済的存在としての自分、本質的生存と技術的生存、全的信頼感に満たされた個平等世界と不信と悪意を前提とした権力世界、助け合 いの世界と嫉妬と競争の世界、主観性と客観性、意欲と行動、原点とプロセス、等々。

世間に対抗して自立した自己が世間の中でいかに戦い、生き続けていくか・・・・・

しかし、ここまで書いてきて私の胸のうちで何かさわぐものがあることに気付いた。私の中のVOICEで ある。現在の二面性というのは現実のありのままの姿かもしれないが、それはやはり達成された到達点とはいえないのではないか、というものだ。到達点としてはいわば一面でなくてはならない。つまり、今世間的な価値に近付こうとしている傾向を二面性としてとらえるのではなく、あくまで、あの七年前に到達された 世界観のなかでとらえなくてはならない。先ほどの問い、すなわち「世間に対抗して自立した自己が世間の中でいかに戦い、生き続けていくか」は、かつて「菩薩として」生きるという課題として自覚されていた。それはやはりそのように考えられるべきで、ここ最近の私は少しぶれてきたのではあるまいか。

二十年程前に何かマンネリな生活を変えたいという思いから一冊の本を手にとった。訳者が日下公人だったこともあって購入して比較的興味深く読んだ。

人生の目標を最終場面、つまり死から逆限定して設定するという主張が私のそれまでの考えと一致したこともあって、この本のスティーブン・コーヴィーという著者に興味をもった。それは例の挫折回復のために読んだ本ではなかった。それほど求めるものが切実であったわけではないが、 きわめて具体的で有用な「人生を成功させる七つの習慣」というノウハウがぎっしり詰まっていた。その後最近になって同じ著者の「第8の習慣」という本が本 屋で山積みになっていて立ち読みする中で、「VOICE 」という言葉にひかれて購入してしまった。この世界の名だたる経営者が賛辞を送るようないわゆる経営書になぜ私がひかれてしまうのか、ここに現在の二面性の大もとがあるような気がする。

ではもう少し二面性の中身をみていこう。一方の世界観は根底に仏教的価値観を持ち、能力で人を差別することなく、周囲の他人 をすべて師と思い学ぶ姿勢で接し、信頼と協力をもって自分にできることを提供し貢献する、そしてここが決定的に違うところだが、この世界観をあえて外に示す必要がないことがあげられる。

他方の世界観は、世間的な環境に身を置きながら人生の成功という価値観を持ち、能力を高め発揮することでリーダーとなり、組 織的な利益をもたらす活動を継続的、発展的に行うことを求められ、結果を評価されるというある程度公平な企業原則が公認されていて、個人は少なからず競争にさらされる。そして評価に繋がるようにできるだけ成果を目に見えるように現し、外に向かって自分をアピールすることをむしろ勧められる。

先のスティーブン・コーヴィーはこの後者の世界観の中で、前者の価値観の一部、信頼と目に見えない心の世界をVOICEとして掬いだしている。私はこの部分に大いに賛同し、彼の導きにとりあえずは従おうと思っている。現実に傷を負って挫折するようなことがないかぎり、世間的世界でスティーブン・コーヴィーに従いたい。

ひとつだけ前もって危惧されることがあるが、それは後者の世界観の中の非人間的な部分に引き入れられないことである。シンボリックな例でいえば、リストラに合ったり合わせたりという場面を避けるということだ。そしてこの世界観の中では自分の経済的価値、つまり商品としての価値を 客観的につかんで自覚しておく必要があると思う。私はデザインという職能の中ではリーダーの役割を持たなければと思っているが、自分の値段はあくまで中級 といったところだろう。年収でいえば600万に満たない経済的位置であり、同級生の中で比較されるとしたら中の下であろう。

あるいは下かもしれないが、それを聞かれたらやはり答えるべきだろう。この前、美大の同級生から年収を聞かれて答えられなかったが、べつに屈辱を感じることなくありのままを答えるべきであったと思う。私は経済的にはその程度の人間ではあるが、それは人間的価値とは別である。

さて、これで現在の到達点がおおまかであるが明らかになったと思う。客観的な経済的視点を引き受けながらも、仏教的価値観を 根底に持った「優しくて強い」人間としての自分が現在の私である。それではようやく自分の過去に立ち入っていき、私の「出発点」を明らかにしなくてはならない。結論を先にイメージするとしたら、到達点が「優しくて強い」なら、出発点は「冷たくて弱い」だろうと思われる。何故そう思うかはこれからしばらく自分の高校時代をさぐってみれば明らかになっていくことだろう。

先に私は、「私には高校時代の自分に人生の原点を見るという、捨てきれないこだわりがある。」と書いた。

ではまず最初に何故それが高校時代なのかについて考えてみたい。

それは一言で言ってしまえば、世間的な意味での「間違いのはじめ」だったからだ。私の人生の浅はかな企ての始まりだったからだ。その時私は人生をなめていたかもしれない。「自分の好きなことができて、そのための金が稼げればそれでいい」という感じであったと思う。それでデザインなら少しは稼げるだろうとタカをくくったのだ。また美大ぐらいだったら、今の学力でちょっと受験のためのデッサンを習えば受かるだろう、そして東京に出ず地元だったらどこか採用してくれる企業があるだろう、と。これは今書いたことに自分が驚くくらいに自分の人生観を言い当てている。

何と私は安易に自分の進路を選択してきたのだろう。

私は少しも夢がなく、容易くその時の自分の能力を限定してしまって、挑戦意欲のカケラもなかったのだ。どれだけその「自分の好きなこと」があったのだろうか? それ以外は「並み」でいいと言っているのだからさぞかし、それは貴重なことだったはずである。だがどう振り返ってみてもそれは、好きな本が読めるといった程度のことだったというのが正直なところだろう。

百歩譲って好きな本が読めることがそれ程重要なら、もっと多くの本を読んでいてもよかったのではないか。しかしそれも並みであるにすぎない。

だが、それにしては私の高校時代はつらく、混乱の中で転落寸前にかろうじてまともなかじ取りをしながら進んできたという実感がある。ひょっとするとそのつらさが平凡で並みの進路を選択させたのかもしれない。

はたして、そのつらい私の高校時代にやってきたことに価値があるのだろうか? 当時の私に並みの選択をさせた程の豊かな経験が事実としてあったのだろうか? これを今の私は明らかにしなくてはならない。

高校一年の夏休み前にもどってみよう。学級委員だった市村さんから「自分の方から人を避けてはダメよ」と言われた記憶がある。私はその夏休みを部屋に閉じこもって思いっきり本を読むつもりだということを彼女に打ち明けて、そう告げられたのだった。彼女は本能的に危険なものを 感じて言ったのだと思う。

たしかにあの夏休みは危険な経験だった。

私はそれまでの白樺派のおめでたい楽天主義に自己嫌悪を感じ、「それなら徹底的に堕ちてやる」と心の中で叫んでいた。私は時代感覚が恐ろしくずれていたことに気付かされて恥ずかしくなり、百八十度反転してニヒリズムを積極的に我がものにしようとしたのだった。選んだ小説は「異邦人」と「ペスト」であった。また哲学書ではキルケゴールの「死に至る病」であった。キルケゴールはどれだけ理解できたか疑問であったが、死に至る病の気分だけは感じ取ったのではないかと思う。ただ哲学にとって気分は括弧に入れられるべき概念であって、どこまでも対象化するのが哲学の機能だとは気付くよしもなかった。

今でも鮮明に覚えているのだが、ムルソー気取りだった私が真昼の炎天下に家を出ると、待ち構えていたかのように高校性の女の子がマイクを持って私に質問を発したのだった。「あなたはどんな希望を持っていますか?」と。私は答えをあらかじめ用意してあったかのようにすぐさま、 「希望なんてありません。だって明日にも死んでしまう可能性につきまとわれているのですから。」と歩きながら答えた。何とニヒリストとして優等生的な答えだろう! マイクの彼女はどう感じただろうか、ひょっとして私を抱き締めたい衝動にかられたのではないだろうか。いや、それはあまりにドストエフスキー的であろうか。私はその時彼女を傷つけたかもしれない。私は彼女に人間らしい配慮を全くしなかったのだから。

その頃私には読書の後の愉しみがあった。小説を読み終えた余韻のままに街に出かけ、何か初めて接するような輝きを体いっぱいに感じるというものだ。そんな時世界は明らかに違って見える。いわば世界と私は一体であるように感じるのだ。それはしばしの幸福であった。ドストエフス キーの「未成年」を徹夜で読み終わった時の朝の幸福感は今思い出すと、ミルク色の靄にやさしく包まれたような甘味なものだった。あの雰囲気には何にもかえがたいものがある。

その頃私の文学趣味につきあってくれた女性があった。いや、つきあったのは私の方かもしれない。どちらかというと私はさそわれたという記憶がある。彼女に関心を持ったのは、金沢の何かの文化的なサークルに属していて、それはまたどこかの学生運動の高校生組織に関係があった。彼 女から、大江健三郎の「セブンティーン」を教えてもらった。私はその頃そういう世界にあこがれを持っていたが、それがどういう実体なのか、どういう影響を自分に与えるものなのか全く考えようとしなかった。

私はただ雰囲気に酔っていただけかもしれない。彼女から「私のことをどう思っているの」と訊れても答えられなかったと思う。 恋愛感情は芽生えなかった。いや、そうと言い切っていいか、今思い返してみると現在の私の感覚、つまり常識的なそれからすると十分に恋愛感情だったといえるような気がする。実際十数年後開かれた中学の同窓会で聞いた噂で、私に好意をもっていたらしいことがわかったからだ。

それはともかく、私の文学趣味は格好のおつきあいの相手を得て、非現実のまま現実であるかのような仮象をもたらすようになっ た。この現実か非現実か区別がつかなくなるような傾向がその後も続き、例の登校拒否を起こしてしまうのだが、これは心理学的には病気なのか、今の私の知識ではわからない。

ああ、あの頃世界はどのように見えていたのだろうか? 少し上の世代が世界を動かしていたように見えた。エリートのドロップ アウトが流行ったり、日帝とかアメリカ帝国主義という政治的な言葉が会話に中に入ってきていた。解放、解体、革命、反戦等々、正確な定義もわからずファッ ションのようにそのような政治的な雰囲気のする言葉を高校生のませた男女が喫茶店で話しこんでいた姿は、その当時ありふれた光景であったのだろう。