生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

文学読書クラブをつくる

地域の公的な読書会を設立したいという目標を作ったが、読書会といっても文学でなければならないし、文学は純文学ではならないことが、目標を吟味していると明らかになった。定年退職後に知的好奇心が衰えてない人が求めるのは、野々市市みたいな地方都市だと「寿大学」のようなものしかないのが現状だ。今日、公民館で今年度の生徒募集のパンフレットを見てきたが、写っている人たちは確かにイキイキとしていたが、どこか我々のような文学好きの顔とは違って見えた。彼らは先生の講義を熱心に聴くような方々だ。ぼくの求める仲間は、先生の話は聴くけれど大いに自分の話もする。読書会は誰か先生のような一人の話者がいるのではなく、参加者一人一人が話者なのだ。そこは小さいようで大きな違いのように思える。本を読んで話ができるのは、主人公や登場人物に自分を投影して参加できるからなのだ。そんなことは寿大学では経験できない。自分を持っている人と自分がないか捨てている人との違いかも知れない。文学好きの人はどこかで自分を捨てきれないでいるのかも知れない。ぼくはそういう人の方に魅力を感じる。