生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

定年についてのぼくの考え

今では定年がどんどん後にずれて、果ては定年がなくなり生涯現役で働くなどという、とんでも無いことが平気で口にされている。労働だけが人生じゃない。仕事を取ったら何も残らない仕事人間は、定年が一大転機になるだろう。ぼくもサラリーマン時代に仕事が生きがいだった時期があるので、仕事に打ち込む環境を突然に奪われるのは想像以上の苦しみを伴うのを理解できる。ぼくの場合は、60を過ぎて50肩になって左手がかっちり1年間上がらなかった。おまけに左腕中心に帯状疱疹にもなった。幸い顔の方まで伸びなかったので大事には至らなかったが。

61歳で完全に退職して9年経ったわけだが、今の心境では定年はプレゼントだったと思っている。全く違う人生を二通り送れるからである。極端に言えば、奴隷の人生と貴族の人生だ。どちらが人間的かといえば、もちろん後者である。使われる身であった時は、自由は奪われていて何事も自分の判断で動くことはできなかった。「報連相」に縛られるし、誰もそれを苦痛に感じなくなっている。自分の能力は絶えずスペアを用意され、使い物にならなくなると交換される。

奴隷には定年があって隷属が解かれる。まさに個人の解放だ。それを活かしきれずに何をして良いか分からず、自分の人生を消耗してしまう人もいる。サラリーマンにとって定年は革命なのだから、それ相応の痛みやリスクを伴う覚悟を持つ必要がある。対応モデルを探したが自分に合うものはなかなかなく、結局はもがき苦しむことになる。結果から言えばぼくの場合は、一度自分の青春時代に戻るという精神活動がよかった。徹底的にリアルに青春の頃の自分を回想し、身を浸すのである。具体的には青春時代に読んだ(読みたかった)本を読み、よく聴いていた音楽を思い出しSpotifyなどを使って再現する。回想したことはブログに書くことで、記録もした。

次に良かったのは、英語の学習に取り組んだことだ。英語の学習法に関する本は10冊くらい読んだ。英文の本も5冊くらい買った。ただ、英会話スクールや個人レッスンは受けなかった。あくまで自分なりの学習法を見つけ、マイペースで進めるのが良かった。良かったというのは英語に興味が湧いて好きになったということで、英語が喋れたり、英語のニュースや映画が視聴してわかるということにはなっていない。気長に構えて、とにかく毎日英語に触れていることは続いている。それでいいと思っている。

3番目に良かったことは、地元の読書会サークルに入ったことだ。仲間ができて共通の趣味で話が盛り上がる経験を重ねている。先月でまる6年経って今年は地区の読書会の会長になって、市長(今の市長は高校の後輩でもある)が座長を務める文化事業メンバーになることになっている。これで地域との関係も築けることになるのは、やりがいにつながりそうだ。思えばここまで来るのにも紆余曲折はあったが、なんとか道を作れたのではないかと満足している。