生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

自分の人生の終わりを想像する

私は現在70歳。これまで生きてきて自分の死を考えたことがなかった。勝手に96歳まで生きるという目標を設定したりしたこともあった。それはサラリーマン時の38年を取り返すという意味づけをしたものだった。サラリーマンの時は自分を失っていたから、自分を取り戻すという壮大で観念的な計画だった。何のことはない、遅すぎた自分探しであった。私は学生時代に経験した「世界」を再経験することでとりあえず自分を取り戻そうと考えた。私は1973年から1年間、学生運動を経験している。活動家ではなかったが活動家の先輩と1年間は行動を共にしていた。その1年が私にとって「世界内存在」の時期だった。1年間で離脱したのは身の安全が脅かされそうな状況だったからだ。当時は凄惨な暴力が横行し始めていた。私の1年先輩のSさんは下宿で襲撃を受け怪我を負った。怪我で済んだのはまだしも幸運だった。活動家でK大学でデモの時見かけていたYさんは怪我ではなく死亡したからだ。でも正直にいうとその時も自分の死を想定することはなかった。私の学生運動というのはその程度だったということだ。私はマルクス関係の理論の方に興味があった。哲学が好きだという活動家のS氏に惹かれていた。

ところで、千夜千冊で有名な松岡正剛氏も早稲田大学では活動家の時期があった。その千夜千冊で取り上げられない作家に、同じ早稲田大学出身の三田誠広がいる。「僕って何」で芥川賞をとっていて、その小説はよく知られているように学生運動が描かれている。でも私の経験した時期とは違ってまだ穏やかな頃で、深刻さはなく敢えてかもしれないけれど明るく描かれていた。

ところが最近、三田誠広の「漂流記1972」という小説があることを知り図書館で借りて読んだ。連合赤軍のあの事件を描いていて、いくら距離を置いてポップにしようとしても深刻さを避けることはできない。査問というリンチ殺人はやはり避けようがなかった。あの事件を小説にできたのは、立松和平の「光の雨」と桐野夏生の「夜の谷を行く」を知っている。「光の雨」は途中で挫折したが、「夜の谷を行く」と「漂流記1972」は読了した。「夜の谷を行く」はリアリズムの文体で、「漂流記1972」は作者が小説全体の進行役になって、言わば現在進行形で書かれた変則的な文体だった。どちらかというと前者は作者は外部にいて、後者は内部にいる。三田誠広自身が学生運動経験者だからだ。

なぜ私はこんなブログを書いているかというと、ようやく自分の学生時代に決着がついた気がしたからだ。これから自分が死ぬまでのあいだ、何を読んでいくか目標ができた。早速今日、図書館に中上健次全集の1巻目を予約したのだった。