生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

私の territory は何か

私の悩みを突き詰めていくと、自分のterritoryが分からない、分からないために作れない、作れないために持つことができない、持つことができないために発言することができない、ということだ。本をよく読んでいると言われることがあるが、本というのはterritoryにならない。本の中のterritoryが何かが分からない。一人の作家の全ての書かれたものというのはterritoryになりうるが、その一人が決まらない。かつては黒井千次を取り上げていたが、黒井千次の文学は一流ではないと気づいて読む気がしなくなった。小林秀雄はすでに先行者が多く、自分のterritoryが作れない。サルトルは価値が落ちてしまっている。埴谷雄高も既に入り込む空隙はない。画家でいえば、ゴーギャン福永武彦ゴヤ堀田善衛、フェルメーは福岡伸一がそれぞれterritoryを占めている。多分、どんな著名な作家、画家、音楽家、劇作家にも研究者がいて、専門分野を占めているだろう。だから研究という意味でterritoryを持つということは不可能なのではないか。自分の体験を通してterritoryを作るという方法はまだ可能性があると思える。サラリーマン時代に社長から受けたパワハラからの、回復の手段として出会った唯識とトランス・パーソナル心理学から自分のterritoryを見出せそうか?territoryの源泉は、過去の体験から受けた自分の「傷」にありそうな気がする。