生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

今、現代世界に起こっていること

ぼくは評論家や専門家ではないが、今現代世界で起きていることについて自分がどう捉えたらいいかを考えることは許されると思う。ブログという自由な表現媒体で、自分の考えを書くことに何かしらの意味はあると思える。つまり今起きている、ウクライナ対ロシアの戦争と、ハマスイスラエルの戦争について考えざるを得ないという気持ちがある。それはプーチンやネタニアフというウルトラナショナル権力者が、「力による現状変更」を成しうるというのが現代世界だということだ。軍事力の差が核兵器を含めてモノを言う世界だ。軍事力という暴力と、その脅しという情報を活用する政治力に圧倒させられる。そして弱いものは残酷に殺されていくのだ。ガザの子供たちを誰も救えなかった。死者は数字になっている。

プーチンやネタニアフが戦争の勝者だとすると、ゼレンスキーやハマスは敗者ということになる。まだ戦争はどちらも終わってないが、ぼくはロシアとイスラエルがそれぞれの戦争には勝つと思う。9.11から最終的にイラクフセインまで殺したアメリカが、ハマスを根絶する戦争を止めることは出来ないはずだ。この勝敗の差はやはり軍事力なのか。ハマスとゼレンスキーはどちらも民主的な選挙で選ばれている。しかしパレスチナは国家ではないのに対して、ウクライナは国家である。その差は何なのだろうか。ウクライナの人は国外に逃げることができたが、パレスチナの人たちは外に逃げることもできない。

香港でデモが弾圧を受けて鎮圧された時、政府に反対する人に対してイギリスは受け入れを表明していた。ガザの人たちはエジプトに逃れることさえできないのだ。アラブの大国はガザの人たちを受け入れないのだろうか。少なくともウクライナの人たちをヨーロッパが受け入れたようには受け入れないようだ。だとしたアラブとヨーロッパの違いは何だろうか。、、、、ここまで自分の判断能力の中で考えてみた。つまり問いを発してきた。それでも弱者は弱者のままなのだろうか。日本やドイツは敗戦国でありながら、現在はGNPの3位を争うまでになっている。どちらも核を自力で作ることを禁じられている。

自分の人生の終わりを想像する

私は現在70歳。これまで生きてきて自分の死を考えたことがなかった。勝手に96歳まで生きるという目標を設定したりしたこともあった。それはサラリーマン時の38年を取り返すという意味づけをしたものだった。サラリーマンの時は自分を失っていたから、自分を取り戻すという壮大で観念的な計画だった。何のことはない、遅すぎた自分探しであった。私は学生時代に経験した「世界」を再経験することでとりあえず自分を取り戻そうと考えた。私は1973年から1年間、学生運動を経験している。活動家ではなかったが活動家の先輩と1年間は行動を共にしていた。その1年が私にとって「世界内存在」の時期だった。1年間で離脱したのは身の安全が脅かされそうな状況だったからだ。当時は凄惨な暴力が横行し始めていた。私の1年先輩のSさんは下宿で襲撃を受け怪我を負った。怪我で済んだのはまだしも幸運だった。活動家でK大学でデモの時見かけていたYさんは怪我ではなく死亡したからだ。でも正直にいうとその時も自分の死を想定することはなかった。私の学生運動というのはその程度だったということだ。私はマルクス関係の理論の方に興味があった。哲学が好きだという活動家のS氏に惹かれていた。

ところで、千夜千冊で有名な松岡正剛氏も早稲田大学では活動家の時期があった。その千夜千冊で取り上げられない作家に、同じ早稲田大学出身の三田誠広がいる。「僕って何」で芥川賞をとっていて、その小説はよく知られているように学生運動が描かれている。でも私の経験した時期とは違ってまだ穏やかな頃で、深刻さはなく敢えてかもしれないけれど明るく描かれていた。

ところが最近、三田誠広の「漂流記1972」という小説があることを知り図書館で借りて読んだ。連合赤軍のあの事件を描いていて、いくら距離を置いてポップにしようとしても深刻さを避けることはできない。査問というリンチ殺人はやはり避けようがなかった。あの事件を小説にできたのは、立松和平の「光の雨」と桐野夏生の「夜の谷を行く」を知っている。「光の雨」は途中で挫折したが、「夜の谷を行く」と「漂流記1972」は読了した。「夜の谷を行く」はリアリズムの文体で、「漂流記1972」は作者が小説全体の進行役になって、言わば現在進行形で書かれた変則的な文体だった。どちらかというと前者は作者は外部にいて、後者は内部にいる。三田誠広自身が学生運動経験者だからだ。

なぜ私はこんなブログを書いているかというと、ようやく自分の学生時代に決着がついた気がしたからだ。これから自分が死ぬまでのあいだ、何を読んでいくか目標ができた。早速今日、図書館に中上健次全集の1巻目を予約したのだった。

 

講演会を終えて

前略

先日の講演会が予想以上に好評だったので安堵とともに、やって良かったと思えていい経験をさせていただきました。松村さんには丁寧なお話ぶりでお答えいただいて、それが一番の好印象の要因と思っております。先のお手紙にもありましたように、私の方でも講演会を心配しておりました。「姫ヶ生水」を読んでいない聴衆の方々の反応がどう出るか、こちらのトークに関心なさそうな態度が見られたらどうしようかと案じておりました。幸い熱心に聴いていただいている感触を得られたので、スムーズに進行できました。

「姫ヶ生水」をめぐる人々の生きた歴史は、実感として自分の来歴に触れることになって、私ばかりでなくお集まりいただいた全ての人に受け止められたのではないでしょうか。参加者は48名になりました。野々市市ばかりでなく、金沢市白山市能美市からの参加者がありました。ここ数年では最も多く集まりました。私どもの読書会が所属する文化協会にとってもいい実績となったことと思います。

さて「姫ヶ生水」後編、いま執筆中ということですね。戦後の復興のがんばりの時代から高度成長期に至る時代の生き様がどのように書かれているのか、今から楽しみです。私は昭和28年生まれです。今度は私自身の時代を読むことができそうです。自分の人生を振り返る上で、身近な小説は参考にもなって生きた読書体験ができそうです。

お体にはくれぐれも気をつけて、執筆に頑張ってください。出版に至った際にはお知らせください。その日を楽しみにこちらは読書会の運営に頑張って行きたいと思います。

早々

 

 

この胸に芽生えるもの

この胸に年甲斐のない妄想が始まるのを感じる。
遠い昔の少年の、初めての少女を見るような、
立ち尽くして時間の流れも忘れる、
何かが崩れそうな感覚。
それを掬い取って小さく育ててみたい。
突然あなたがくれたコメントに、
ちょうど「一九歳の時」がシンクロしたようだ。
あなたの気配の中、
ぼくは強張った鎧を捨て、
世界を捨て、
無防備に素直になれてる自分に驚いている。
あなたは不思議に慎重で、
今流行りの身栄えを武器にしなかった。
源氏物語の時代の玉鬘か夕顔かはたまた朧月夜か、、、
嗜みを知る淑女かもしれない。
この妄想がどれだけ強いものか、
あなたに文を送って試してみたい気もする。
どれだけほんとうが生まれるものなのか、
奇跡を期待したい自分の熱さを懐かしく思う。

 

計画を立てて実現する達成感

金沢市のとなりの野々市市で、毎年椿まつり(全国椿サミットの一環)が行われ、読書会主催で文学講演会もその中のイベントとして毎年参加している。このブログで講師依頼から講演内容を巡っての打ち合わせや進行プラン等の準備を書いているが、今回は一連の経験を振り返ってみて、つかんだ教訓について書いてみたい。結果は予想以上で講師も読書会仲間からも高評価を得た。よく準備した結果だった。講師選びから講演会実施まで約4ヶ月かかっている。私が思うのは、計画してその通り実現された時の達成感は並々ならぬものだったということだ。これまで自分がすることを計画したことはあるが、他人を巻き込み公的な場で公的なイベントを計画したことはなかった。1万円と僅かな金額ではあるが、野々市市から補助金までもらっている。人が集まらずもの寂しい講演会となる可能性も十分予想された。内輪の読書会メンバーには話が伝わっても、当日参加する不特定の聴衆者には退屈な話かもしれなかった。私は司会進行で会場の雰囲気がこんなにも直に伝わるものだとは、経験がないものだから全く予想していなかった。話が受けるとか笑いが洩れるとか生の反応がこんなにも自分をウキウキさせるものだとは思えなかった。この経験は初体験だった。おそらく癖になると思う。この成功体験をもとにしてまた来年の計画を練りたいという意欲が湧いてくる。

人生で何かを成し遂げるには

人生で何かを成し遂げるには、何かを捨てなければならない。成し遂げられるのは、短いぼくの人生でいくつもない。そして目標は一つに絞られる時、一番実現性が高い。これは動かしがたい真理に思える。一つの実現したい目標は何かを考えることは、自分のこれからの人生に不可欠だと思える。

文学か哲学か、という問いを立ててどちらかを捨てることが、一つに絞る過程に入ることになる。ぼくはこれまで文学の方に多くの時間を割いてきた。それでもピークだったのは、高校1年時だった。ぼくは世界文学全集を読みあさって一時期不登校になり掛かった。

哲学にそれほどのめり込んだことはなかった。しかし大学時代にはマルクス主義に傾倒して、梯明秀哲学に出会って、物質の哲学的概念に魅力を感じた経験がある。物質の自己運動という観念は今もぼくの脳髄にある。どちらを取るかは、どちらに自立の存在可能性が高いかによると思える。別の言い方をすれば、ぼくが何かの達成をもたらす道は、文学か哲学かということを現時点で決めなければぼくの生涯ではほぼ見込みがない、ということだ。

一つの折衷的な妥協的な道がある。それは、哲学を文学的に語る、あるいは文学を哲学するという方法だ。小林秀雄が始め、柄谷行人が極めた道だ。池田晶子小林秀雄の継承を試み哲学をエッセイにした。ぼくは現代の哲学者で全集までではないがかなりまとまった著作集が出ている、加藤尚武氏に最終的に絞ろうと考えている。加藤尚武氏はまだあまり一般には知られていない。加藤尚武氏を小林秀雄的な意味で知り抜くことは、まだ誰もやっていない気がする。研究者にはなれないので、一読者として何かの形で表現できるとしたら存在価値があるかもしれないと思う。だから、それを絞られた、ぼくのただ一つの人生目標にしたい。

書きたくて書く

ぼくは70歳だ。子供ができなかったので当然孫もいず、結婚してからずっと我が家は妻と二人だ。近くに実家で母が94歳で一人住まいしている。朝夕と寝る前に薬を飲むのを数ヶ月前から忘れるようになってからは、朝と夕方に妻と交代で薬を持って行って飲ませている。それが日課になっていて、いわばぼく達夫婦の生活のリズムを作っている。だから夫婦揃って旅行に行く楽しみは当分お預けになっている。

こうやってブログを書いていることが定年後にやっていて続いている「活動」だ。仕事だとは言わない。別に書く義務はない。楽しみかというとそうでもない。家の中にずっといてほとんど社会的な接点がないので、ブログを書くことで外と繋がっている感じがしている。だからライブ感があってやはり活動しているのだろう。実を言うと読者のことは考えていない。読んでいただければありがたいが、別に読まれなくても仕方がない、というスタンスで書いている。書きたくて書いている。今現在は絶えず自分の人生にとって新しいことだという、ライブ感を感じていたいと思う。

改めて思うことだが、70歳になって特にしなければならないことがなく、ただ三食たべて割と規則正しく寝て起きて、昼寝もするという生活が異常な気がする。ぼくには40年来のテニス仲間がいるが、一人家業で継いでいる男がいるが、他は働いていないしボランティア活動もしていない。ただみんな息子や娘家族が近くに住んでいて、それなりにやる事があるようだ。本を読んだりブログを書いたりという青臭いことをやっているのはぼくだけだ。仕方がないから青臭くてもやり続けていくしかない。死ぬまでにはまだ途方も無いほどの書く時間がある。書いて書いても時間が余るほどある。それはいいことだろう。とにかく書くのだ、、、