生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

「姫ヶ生水」を読んで

第33回公開文学講演会

主人公松の姉、美伊子が昭和6年(1931年)に37歳で亡くなり、その時松は32歳でしたから、松の生まれは1899年(明治32年)になるだろうか。私の母が昭和4年(1929年)生まれなので、松は私の母の30歳年輩になる。だから松は私にとって母方の祖母のちょっと上くらいの人で、私の「お婆ちゃん」の話としてこの小説を読んだことになると思えばたいへん身近な話だ。私の母は能美市辰口町の鍋谷という村の生まれだ。作中にも鍋なんとか(名前は思い出せません)という村が出ていた。松の子は並、好子、外志の三人姉妹だが、私の母は8人兄妹の6番目だった。母は一時期小松製作所に勤めていたことがあり、外志が工場のある会社に就職したとあったので私の母と外志は同世代なのかもしれない。また、好子の夫が大工だったが私の父も大工で、内地ではあったが戦時体験をしている。このように私の親と松の子供とはほぼ同世代同郷で、「姫ヶ生水」は私の親世代の同時代小説とも言える。

今、長編「姫ヶ生水」を読み終えて改めて思うのは、親の世代は生きるのに精いっぱいで正に人生を全うしたという感慨である。父親は家族の大黒柱としての姿を示し食い扶持を稼ぎ、母親は家計を預かり子供の養育に専念する一生の中に、わずかの休息と安寧があるような人生だ。本人には落ち度がなくても嫉妬されてしまったり、自分から自然と劣等感に駆られたり、松の生きた時代の家では、貧困からどうしようもなく里子に出されたりする。子供から思春期を経て社会に出て結婚し家庭を築く成長過程で、姉妹、親子、嫁姑の関係において性格の違いや家格の違いによる様々な困難や病苦との闘いがある。長女の「並」の性格上の歪みから次女の「好子」は深刻ないじめに遭う。夫の「徳之助」は「並」の赤痢の後、心筋梗塞で突然死する。松の姉「美伊子」は膵臓がんのため37歳で他界する。美貌であるための恋の試練は、松の夫「徳之助」の母「菊」や、好子の夫の「保」の母「鶴」の母「雪」に訪れた。好子自身も美貌から婚約者の「辰男」に不運が訪れる。

親世代のこのような出来事を読むとやはり時代の差を感じる。松の賢明に生きる姿は松の母「りく」の反対を予想して独断で決める場面もあり、幾分余裕のなさを感じさせる。明治生まれの頑固さがあるのか、逞しい母である。それでも並の捻くれて自傷してしまう感情に同情する繊細さもある。弱さにも理解があるのである。

「姫ヶ生水」の17,18,19,20章は主人公好子の義理の父の昔話を書きとるという設定で、荘園間の争いから生き延びるために山を越えてついに「白糸の滝」を見つけ、そこで山の衆としての営みを始める話や、そこから200年後多分架空と思われる「霞谷村」が形作られるようになった頃、平家の落人が逃げ延びてきてその中の照姫が杖を突いて湧き出た泉が「姫ヶ生水」伝説の元になったという話がある。さらに600年後、平家落人の末裔と山の衆の末裔が協力して山を切り開き、一大事業「都大路」を成し遂げる伝承話が書かれる。これらの話は小説中小説のような入れ子構造になって面白い趣向になっている。これらの章のためもあってか、全体として時代小説とは違う印象がする。おそらく文学のプロからすると中途半端な小説ということになるのかもしれないが、地元の普通の読者からすれば、身近に等身大の歴史が学べるエンタメ小説になるかもしれない。

この小説は一口でどんな小説かを述べるのはむずかしい。小説を読み進めるうちに主人公が入れ替わり、最後には霞谷村という共同体が主人公ではないかと思えてくる。大河小説とも村落共同体小説ともとらえられると思う。それほどスケールが大きいし、時間の射程の長い小説で、読み応え満点である。

、、、以上、感想を述べてみましたが、作者である松村さんには届きましたでしょうか? 当日の講演会では、前半「姫ヶ生水」の実際の伝説の講演の後、小説の「姫ヶ生水」を巡って質疑応答の時間を取りたいと思っております。質問は以下を準備しておりますが、その中でお答えいただければ幸いです。

  1. 霞谷村は実際にあるか
  2. 松の実家の「山島」は、現在の白山市山島台のあたりか
  3. 美子のモデルになった女性は実際はどのような方だったのか
  4. 白糸の滝は実際にあるのか
  5. 小説のもとになるノートは、いつ頃からどういう経緯で書き始めたか
  6. 並の好子に対する嫉妬は、事例があるのか
  7. 松の夫「徳之助」の母「菊」が身を投げた橋は実在するのか
  8. 「姫ヶ生水」の謂れにある姫を平家の照姫としたのは根拠があるのか