生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

繋がりのないSNS

このブログサイトは全然アクセスがなくなって11日間経った。ネット環境につながってはいるが誰も見ない状態だということは、本来のブログの機能は無いに等しい。だったらもっと自由に何でも書いてやろうという気になる。ぼくは満たされているからアクセスがないからといって寂しいとかという感情はない。むしろ満たされていることを無の空間にこちらから発信してみたい。無謀な呼びかけをするのじゃなく、満たされているぼくの内面に招待したい気持ちだ。

かつてぼくの少年時代に、世界文学全集を読み漁っていた頃に、その満たされた愛でいっぱいの内面世界があった。特にトルストイの小説世界が満たしてくれた。次はヘルマン・ヘッセだった。ロシアの情熱的な女性との交流や、ボヘミヤンになって旅する自由に触れ、少年の無垢な心にミルク色の甘味な息吹を注ぎ込んだ。時代錯誤といわれようが構わない。誰もが羨むほどの幸福を知ることの特権は手放せない。ぼくの心に一旦は灯った至福の感情は長く忘れられていたとはいえ、亡くなってはいなかった。

その感情の、とろけるような、塊ともいえないようなエネルギーを何と名づけたらいいのだろう。少年の魂だけが感応できるエネルギー。70になったぼくの魂に沈殿する芳醇な少年のイノセンス。それは外界に無関心になれたからこそつかみ得た、神聖な内面世界だったのかもしれない。だから初老を迎える自分に、少年の頃の自分が立ち現れるのが少し危険な感じもする。老人と少年の組み合わせは、ヘミングウェイの「老人と海」を思わせる。