生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

フロイト「精神分析入門」を読んだ

 

フロイト精神分析入門」を今日読み終えた。新潮文庫上下2冊合計838ページの大著である。ぼくが持っていた新潮文庫は多分大学生の頃購入したもので、活字が小さく見開きページにびっしり埋まっている。おそらく目標に設定しなかったら読み通せなかったと思う。小説ならよっぽどのことがなければ長編でも読み通せるが、学術書(といっても論文ではないが)は最後まで読むこと自体がこれまで難しかった。

精神分析学の創始者フロイトは、たった一人から臨床医として患者(クライアント)を診察することから独自の分析学を打ち立てた紛れもない偉人である。一般聴衆や医学研究者を前にした講演録という体裁を取っていることから、弁護士並みの弁舌の巧さと論理展開に最初は付いていくのに精一杯だった。無から有を生み出す創始者の労力の他に、幼児性欲という世間から非難されやすい分析も含むことから医師としての良心の他に、科学者としての矜持も並々ならぬものを感じさせた。全ての方法は臨床結果から少しづつ検証されて打ち立てられたものだ。

そういえば、これまで経済学者や社会学者あるいは評論家、思想家の書いたものは読んできたが、医師が書いたものを読むのは初めての経験だった。リビドー、超自我エスなどの概念は思想的な抽象ではない。心理学を構成するために生理学や生物学、動物学、人類学はたまた物理学(エレルギー恒存の法則からヒントを得ている)のほか、神話からも自由連想夢分析の核となるものを参照している。新しい学問分野を拓くということはそういうことなのかという感慨を持った。彼の弟子からはユング深層心理学)やアドラー(個人心理学)が生まれているが、当然のことながらフロイトは存命中は彼らを(本著作の中で)批判している。

ところで、ぼくは精神分析は自分の心を分析するために役に立つと思って読むことにしたのだった。高校2年の時とサラリーマン中年時に軽い鬱症状を経験していて、自らを分析対象にすることも可能なのだが、自分を含めて現在のストレス社会で神経症に悩んでいる多くの人にとって得るものが多い読書体験となるはずである。