生きるリアルさの回復のために

読むことで自分の未来を拓く

2024-01-01から1年間の記事一覧

書かれたという事実には善がある

ぼくが文学を好きなのは何もエンターテイメントだからではない。軽めの小説よりむしろ深刻な小説の方が好きなのだから娯楽を求めているのじゃない。娯楽なんでその場だけで消費されて、あえなく次は何となるだけだ。文学は消費されるものではない。何かとい…

青春回帰がだんだん強くなる

十九歳のころ、なんて世界は優しくぼくを包んでくれていたことか、奇跡のようだ。ぼくが十九歳の時、世界は1972年だった。テルアビブ乱射事件で岡本公三がぼくのイノセンスを破壊したが、それはまだ遠くの出来事で半分夢心地のままでいられた。その頃ぼくの…

ぼくは文学が心底好きなのです

明後日講演会を開く。ぼくが会長をしている読書会連絡協議会が主催して、ぼくは司会進行をしなくてはならない。これまで3回やって今回4回目なので、要領を掴んでいるかといえば全くそういうわけではない。これまでは講師の先生にほとんどをお任せしていれ…

本を読まない若者へ

若者の読書離れがどんどん進行しているらしい。読書の時間は孤独な時間だから、読書離れは孤独に耐えられない若者が増えている、と捉えられると思う。ゲームやyoutubeや漫画や映画などの娯楽などの時間も一人だが、その時間は孤独なのではないだろう。自分と…

若者はもっと本を読めということですね

野々市市の図書館協議会に午前中出席してきた。当市には「子ども読書活動推進計画」があって今年度は5ヵ年計画の第3次の4年目の評価年に当たるらしい。子どもには0歳から18歳まで含まれる。子供の発達段階に合わせて本に触れる機会を捉えて、さまざまな施…

定年についてのぼくの考え

今では定年がどんどん後にずれて、果ては定年がなくなり生涯現役で働くなどという、とんでも無いことが平気で口にされている。労働だけが人生じゃない。仕事を取ったら何も残らない仕事人間は、定年が一大転機になるだろう。ぼくもサラリーマン時代に仕事が…

土曜の午後の開放感

このブログを書こうとしている今は、土曜日の午後だ。定年後の毎日が日曜日となっている今でも、土曜の午後には何かウキウキして華やかな雰囲気がどこかにするのは嬉しいことだ。働いていた頃の土曜日の開放感がまだ何処かに残っている。その開放感が今では…

私たちはどのように生きてきたのか

もう人生の終盤に来ていてこれから何かを始める気持ちを持つ事自体が難しい。これから新しい局面を迎えるにしても、これまでのことを一度きちんとした結果として見ておきたいという気持ちがある。いったい私は、これまでどのように生きてきたのかを一望して…

読者と作者

一つの小説を読み感想を手紙に書いて小説家に送ったとしよう。その小説はぼくにとって等身大の主人公が登場し、その主人公の人生は自分が送ってきた人生のようであり、小説を読むことが自分の人生を確実に生きた歴史として文字に再生産されたと、手紙に書い…

「銀河鉄道の父」を観る

今日、公民館で「銀河鉄道の父」を観る。よく出来た映画で宮沢賢治の人生がよく分かった。これまで本で知っていた、幾分伝説じみた生き方が理解できた。創作へ向かう状況がよく飲み込めた。文学は賢治にとって渾身の営みだった。私は深く反省させられた。文…

三田誠広の全てを読む

小林秀雄の読書論の中で、誰でもいいから自分と波長の合う作家の全集を読め、というのがある。全集は存命中は出ないから、全集でなくても活字になったものなら手紙や発言集などを全てということでもOKだ。これまでぼくはその対象を黒井千次にしていたことが…

生きるリアルさは自信を持つことから

ストレートに自問してみよう。私は何故生きるリアルさがないのだろうかと。生きるリアルさとは、確かに今生きていると実感できる感覚ないし感情のことだろう。いつも何となく面白くなく、一生懸命になることがない。つまり、退屈だということか?いや、退屈…

定年退職後の危機

白々と夜が明けて来る、薄暗い部屋の中で一人で過ごすひと時が始まる。一人の時間に満たされて、お湯を沸かしてコーヒーを淹れるだけのルーティンにさえ気分がウキウキするのだった。新聞を読んだりテレビをつけたりなんかしたらぶち壊しだ。完全に外界から…

公共的な価値のある小説

自分のためにではなく、期せずして私という人間を知って同じ世界と時代を生きることになった人々のために、自分のできることをする生き方を模索している。それは何かを考えるだけでも退屈ですぐに飽きてしまう私を何がしか働かせることになる。70年生きてき…

「姫ヶ生水」を読んで

第33回公開文学講演会 主人公松の姉、美伊子が昭和6年(1931年)に37歳で亡くなり、その時松は32歳でしたから、松の生まれは1899年(明治32年)になるだろうか。私の母が昭和4年(1929年)生まれなので、松は私の母の30歳年輩になる。だから松は私にとって母…

「姫ヶ生水」伝説講演会に向けて

ここには正直に書くことにしている。正直の中には明確に、ありのままにも含む。そして、できるだけ基の方から書きたい。基とは根本の欲求のことだ。今書こうとしていることの根本にある欲求は、かねてから持っていた書くことについての探究心に関わっている…

Lack is power

人間は欠乏を何かで満たそうと欲望する。私も若い頃は何もない毎日を送っていて、満たされていなかった。食べるものや住むところはまずまず満たされてはいた。希望と呼べるものがなかった。何になりたいか将来に目標となるものがなかった。孤独で平穏ではあ…

私の中の公共的な感性について

始めは何でも、どんな風にでも書いてみて、次にその中から輝いていて、主張としてアウトプットしたいものを見出してまとめる。情動に形式を与えると言い換えることが出来るかもしれない。情動に何が含まれているか、言葉以前のモヤモヤしたものが自分を前進…

世界精神=ヘーゲルを想定して

計画を立ててその通りやる、という方法がいいのか、行き当たりばったりだけどその時やりたいと思うことをやる方法(この場合は方法でさえないかもしれないが)がいいのか、これまで何度も迷ってきている。計画が必要と思ったのは後者のやり方では結局何者に…

今年の目標をreviewする

2月に入ったので今年の目標を振り返ってみたい。今年の目標は、自分を変えるであった。あらためて気づいたことは、人生は自分のなりたい自分を作ることであり、そのための目標を作り、それに従って実行するというものだ。最近知ったロマンロランの生活規律の…

前進か、後退か

今日古い自分に戻ったことに気がついた。何だかモヤモヤした軽い不安感がした原因がそこにあったと気づく。ここ数ヶ月のうちにぼくは変化しつつあった。まず主治医が変わった。明るくてスタッフも若いクリニックでしかも自宅から歩いて行ける距離にある。こ…

「悪魔と神」読書会

友人と二人で喫茶「ローレンス」で5回目の読書会をする。選んだ本はこれまで「星の王子さま」「デミアン」「日常生活の冒険」「テンペスト」と続き、今回は「悪魔と神」である。「テンペスト」で初めて戯曲を読み、観客と共有する舞台で演じられることを前…

Setting a purpose in life and assigning one task to oneself.

これが人生の実質そのものだ。ある目的を持ち、その実現のために、今日ひとつの仕事を自分に与え、その仕事を終えること。人生の深淵を示しているとさえ思う。では私はどんな目的を設定するのか? 今まで買った本を全部読むことだ。 それはどんな目的になる…

サルトル著「自由への道」第一部を読む

かつて有名であったが今時絶対読まれないだろうという小説をぼくは好んで読むことにしている。野間宏著「青年の環」がそうだったし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」がそうだったし、今回のサルトル著「自由への道」もそうだろう。とにかく今時の人はこ…

豊かな「時間」

今ほとんど満たされて平穏な心の状態だ。何か書きたいことがあるわけじゃない。記録しておきたいとも何も思わない。本も読みたい気がしない。読めないわけでもない。ちょっと思うのは、こんな平穏な状態は普通書くのが難しい気がして、だったら挑戦の意味で…

講演依頼のための手紙

前略 もうこの歳になると先のことはどうなるか分からないと、この前のお手紙にありましたが、今年は元旦から突然の大きな地震で幕開けしました。いかがでしたでしょうか、お怪我はありませんでしたでしょうか。読書会のメンバーではご高齢のお婆ちゃんが多く…

講演依頼のためのノート2

松村昌子さま あなたを先生と電話でお呼びした時、とんでもないと強く否定されたのを最初は謙遜と受け取っておりました。しかしそれは謙遜などではなく本当に自分には相応しくないと懇願したものだと、作品「姫ヶ生水」を読み通してから、その奇跡のような成…

フロイト「精神分析入門」を読んだ

フロイト「精神分析入門」を今日読み終えた。新潮文庫上下2冊合計838ページの大著である。ぼくが持っていた新潮文庫は多分大学生の頃購入したもので、活字が小さく見開きページにびっしり埋まっている。おそらく目標に設定しなかったら読み通せなかったと思…

本を読むことの原点に向かって

この投稿は今日だけに終わらず継続して書き足していくことにする。まず初めにこのタイトルで書いていきたいことは、地域読書会の創生についてだ。現在は公民館サークルの一つでしかないが、いかに公共性のある読書会として生まれ変われるかを追求したい。野…

自己欺瞞をやめる

このブログのテーマである、生きるリアルさを取り戻すためにやる事の始めは、自己欺瞞をやめることである。自分に対してあまりにも長い間ウソをついていると自己欺瞞が身について何が自分の本当か分からなくなる。リアルさの回復とはその自己欺瞞を打ち破る…